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第二回 建築家 隈研吾 Lively Life バックナンバー一覧
既存の基準から離れた視点で土地や家を選ぶことを始める
Lively Life
隈研吾
part1
part2
part3

大都会の離れ座敷といってもいいだろう。閑静な住宅街が密やかに息づいていた。隈さんの自宅に伺う道すがら、そんな街のたたずまいに少なからず、驚かされた。ひっそり息をするように現われた小さな公園の前に透明なキューブが空に向かって伸びている。4階のリビングは、大きなガラスの箱のよう。手作りのスケルトンの家具たちとも調和して、このうえない居心地のよさを私たちに与えてくれる。
こんなに開けっ広げなのに、周囲の目を気にする必要がないなんて……。そんなひろびろとした開放感のある家に隈さんは住んでいる。

 
住まいを考えるときに重要なのは周囲との調和とネットワーク機能
 

基本的に建築家は、自邸をあまり人にお見せしないほうがいいと思っているんですよ。というのは、私たちは、いろいろなタイプの方からいろいろな意向や趣味を伺って、それに応じて建物を設計しています。依頼者から相談を受ける前に、私に対するイメージが固まってしまうのはよくないと考えています。だから建築家が、自分の趣味はどうこうとあまり出さないほうがいいと思っているのです。その関係上、自宅はほとんどメディアに出したことがないんです。ここは、僕が設計した家でもないしね。ただの集合住宅に住んでいるわけだから。

年をとったら都心に居住するに限りますね。都心がいい。自分が住む空間が単独でどうなのかということよりも、むしろネットワークみたいなものが大切。おもしろい店があるとか、町の風情がいいとか、ここらあたりは食べ物屋などもおいしいものがあるとか。そういう全体の環境の一部に自分の住むところがあるのだというふうに考えています。

自分の住む空間だけを考えて、ここがいいあそこが悪いというのではないんです。ネットワークされた空間からくる場所選びが一番重要なことだと思っています。都心にはそういう濃いネットワークがあるから、その中に住まいがあるのがいいんだね。
このあたりは、都心のわりには緑があったり、けっこう閑静な住宅街なんですよ。あまりみんな知らないんですね。住宅街というとみんな世田谷近辺とかを思うかもかもしれないけれど、東京の西の北のほう、ここから目白にかけてのあたりは意外に住みやすい場所だと思っています。所々に小さな緑が残っているのがいい。そんなに大きな緑ではなくて小さな緑でいいんです。この家の目の前に公園があって、小さな緑が見えるとか、土地に起伏があって、ここはちょっと高くなっている。そんなところが気に入っています。この辺では一番高台だから、西新宿の都庁がぼうっと見えたりするんです。

 
 
人間は室内だけでは暮らせない 外部空間も非常に大切な要素
 

見晴らしがいいというのは非常に重要なことだと思っています。閉じた住居はすごく息が詰まる。ここは、目の前に公園があって公園の緑が自分の庭みたいに使える。借景の本来の意味のウラには、周りとの関係みたいなものを大事にするという考え方がある。これが住居にも必要だと思います。
住居には外部空間を利用することがすごく大事だと思うんです。ここは庭みたいなものが取れる敷地ではないから、屋上が庭みたいになっているんです。人間は室内だけで暮らそうとすると、実はたいへんで、室外の空間がすごく大事。そこにいるとなんか体が元気になるとか、そういうスペースが重要だと思う。だからこの家で僕が一番好きな場所はテラスです。
でも僕にとって心安らぐ場所、一番気持ちがいいのは、実はスポーツクラブなんだな(笑)
スポーツクラブで泳いでいるときや、スポーツクラブのテラスでごろごろしているときが一番気持ちいい。家は真夜中しかいないから、本当にシャワーを浴びて寝るぐらい。スポーツクラブは事務所とか家ではなくて、第三の場所であるところがいいんですねきっと。

 
隈研吾
 
土地や家選びに大事なのは自分なりの価値基準
 

日本で土地を選ぶとしたら、固定概念や基準にとらわれないことです。南に庭が取れるかどうかというのが、いままでの基準でしたが、そういうのにとらわれないで土地を探すことです。
たとえば形が整形でなければいけないなどということにとらわれないで、不整形でもいいと考えてみる。そういうものから、おもしろい設計ができることも多いんです。たとえば南向きの庭がとれないのであれば、屋上やベランダに庭の代わりのものをつくるという発想ができる。建築家として見ていると、土地をうまく使っていない住居が多すぎると思います。そのへんの家を見ても屋根には日が当たっているけれど、ほかには全然当たっていないでしょう?

屋根に出られて屋根の上がテラスになると思っただけで、すごく家は変わります。けれども、それを活かしていなくて屋根が太陽を浴びているだけになっているんです。そういう意味で、まだ普通の住居は土地の可能性の10分の1も使っていない感じです。プレハブメーカーもデベロッパーもそうですが、いままでのやり方を踏襲して、その延長でやっていれば売れると思っている。そういう発想では日本の住居はよくなっていかないと思います。
特にマンションは、デベロッパーや都市公団が、旧来の発想でつくっているものではないものがいい。そういう発想を超えたものを探すつもりでないとね。
「マンション選びのなんとか」という本がよく出ていますが、その物差し自体がもうだめだから、それで高い点数がつくからいいと思ったら大間違いです。間取りの基本的な考え方がだめなんだから。片側に廊下があってすごく間口が狭いユニットになっているでしょう?
5メーターとか6メーターの間口しかなくて、そこからしか光が入らない形になっています。片方は片廊下になっていて格子がついている。その廊下沿いの窓は全然窓として機能しないような窓がついているし、バルコニーだって狭くて外で食事をする雰囲気にならない。
どの空間も全部だめなんです。一番大きい原因は全部を南に向けようとしているからで、すべてそれに起因している。でも、そういう空間でも使い方次第だから、自分でどんどんつくり変えてもいいわけです。
自分の生活に合わせてつくり変えていけばいいのではないでしょうか。
(構成/文 メディアム 成田恵子)

 
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アフターショット
アフターショット

カメラマンの桐島ローランドとゲストの撮影の合間のおしゃべりを紹介します。

■桐島

(スタジオで撮影した隈さんの写真を見せながら)もう少し普通 の表情がいいんだって言っても、常に表情を崩さないんだもの……。でも、写真を撮影されるのに慣れすぎてしまわれるのもカメラマンとしてつまらないんです。

■隈

あのときは、グレーのバックでしたか。白じゃなかった?

■桐島

グレーですよ。グレーは一番難しいんです。

■隈

すごくグレーがきれいな感じに出ていますね。椅子もすごくよかった。グレーと茶色の色合いがきれいに出ている。

■桐島

自分の写真はある意味でつまらないんです。例えば、ヘアメイクとスタイリングを僕ができたとして全部自分のイメージ通り撮ったところで、つまらないものになってしまう。むしろ、たまにヘアメイクがすごいことをやってくれたり、スタイリストがいい衣装を持ってきてくれたから、面白い写真になったということがあるじゃないですか。コラボレーションの楽しさは、どこにだってあると思う。同じように自分がこれが必要だと言って設計してもらってもおもしろくないのではないですか?結局、自分ができないことができるから建築家がいるんだし。自分で想像できる範疇のことは、ある意味ではすごくつまらない。
建築のイメージはどうやって伝えればいいんですか。建てたい人は「こういうのがいいです」とか言って、雑誌の切り抜きなどを持ってくるんですか?

■隈

こんなにたくさん持ってくることが多いよね。

■桐島

僕は編集者が雑誌を持ってきて、「こういう感じで」とか言われるよりどういう人間像を撮りたいかとかを言葉で伝えてもらったほうが、やりがいがあって、好きなんです。隈さんもそういうのはあるでしょう?
建築家として、だれかほかの人がつくったものを持ってきて、「こういうのがいいんですよね」と言われてしまうと、「その人にお願いしたほうがいいんじゃないの?」という感じになってしまいませんか?とはいえ、言葉で伝えにくいものでもあるから、余計困りますね。

■隈

そういう写真や資料を持ってこられるのは全然問題ないと思うよ。そういうのはだいたい相互に矛盾したものを何種類か持ってくるから、結局は持ってきたものと全然違うものになるんです。
コミュニケーションのやり方としては、言葉だけを前にしてコミュニケーションするよりも絵を前にしてするほうがいいということもある。同じ言葉を使いながら、全然違うものを意味しているということもありますからね。

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