 |
 |
 |
 |
|
 |
|
|
大都会の離れ座敷といってもいいだろう。閑静な住宅街が密やかに息づいていた。隈さんの自宅に伺う道すがら、そんな街のたたずまいに少なからず、驚かされた。ひっそり息をするように現われた小さな公園の前に透明なキューブが空に向かって伸びている。4階のリビングは、大きなガラスの箱のよう。手作りのスケルトンの家具たちとも調和して、このうえない居心地のよさを私たちに与えてくれる。 こんなに開けっ広げなのに、周囲の目を気にする必要がないなんて……。そんなひろびろとした開放感のある家に隈さんは住んでいる。 |
|
|
|
一貫した建築のキーワードは、透明感という言葉なのだけれど、普通にただガラスとかがもつ透明感というのではなくて、いろいろなものが溶け合っているような、自然と人間が溶け合ってるような、他人と自分が溶け合っているような、そういう透明感なんです。
個人住宅、集合住宅、公共の建物、それぞれに設計のおもろさがありますね。規模の大きさではないんです。個人住宅でも、意志をもった依頼主に出会えたときは本当にユニークなものができるしね。個性的な人の思考や発想あるいは、不思議な土地に出会えたときに、本当におもしろい仕事ができるね。崖みたいなところとか……。一般的に言うと、すごく条件が悪いと言われているような狭いところでも、けっこうおもしろいものができる。そういう条件が変わっているところのほうが、概していいものができる。意外性が出てきたりするんですね。最初、見に行ったときに、「こんな敷地は絶対にだめだ」とひどく条件が悪い場合でも、逆にしばらくたつとそれがすごくおもしろいプロジェクトになったりすることもある。最初見たときからばっとイメージが沸くこともあるし、全然できなかったのに、後でわかることもある。
設計の最初の工程は、まずスケッチを描くことと模型を作ることから入ります。周りの環境も含めて大きな模型をつくって、そこに箱を置いて。こういうものを置いてみると、これはおかしいというのが見えてきますね。つまり、人間は三次元になると突然わかることがあるんです。平面図で描いていると、どんどん煮詰まってくるわけ。「この敷地はもうだめかな」と思っちゃう。線だけで考えているとだめなんです。でも、三次元でつくってみると、瞬間的にわかるということがある。三次元思考という、すごく不思議な能力が人間にはあるわけです。これはコンピュータグラフィックスとかには置き換わらないものだと思います。コンピュータグラフィックスでも、できる部分もありますが、本当の大きな“つかみ”みたいなものは、やはり模型じゃないとわからない。だから、スケッチと模型をつくる課程があって、それから図面に落としていくんです。
建てている途中もそれなりにおもしろいけれど、最初にアイデアを考え始めるころが一番おもしろい。アメリカのカーンという建築家が「アイ ラブ ザ ビギニングス」ということを言っているんです。「自分は、プロセスの最初を愛する」と言っているわけだけれど、僕も最初のアイデアだしのころが本当にわくわくする。まだどうなるか自分の中でもよくわからないときが最高におもしろいね。 |
|
|
|
|
|
『森舞台』(宮城県登米町伝統芸能伝承館)を設計したときは、能舞台に人間が立ったときに何を感じるか、傾斜する地面 に立ったときにどう感じるかということが一番難しかったですね。建物がどうできるかという形みたいなものはそんなに難しくないけれど、ここに立ったときに何を感じているかということを想像するのが一番難しい。
ところが最初に建築を始めたばかりで想像力が未熟なころは、外からどう見えるかというほうにだけ意識がいってしまう。「ここから見たらこの建物はこう見える」「あそこから見たらこう見える」というのは、わりと簡単に建物ができる前に想像できてしまうものなんです。それこそ、コンピュータグラフィックスを使えば、完成する前から100%わかります。でも、今この4階のフロアのこの床にあるこの椅子に座ったときに、人は何を感じるのか。たとえばこの椅子に座ったときに、現在あるこの景色が、こう見えるとわかっていたかどうかなんです。それを想像しながら設計することはなかなか難しい。経験も必要だし、そういうふうに想像しようとする努力みたいなものがいると思う。自分をそこに置いてみるというのかな?うちの設計事務所では、「相手の立場に立ってみろ」と日頃、道徳の教科書みたいなことを話しているんです。「人の立場に立ってみろ」というのは、建築を手掛ける場合のどんなときにも全部に当てはまります。
建て主の立場に立ってみるとか、ユーザーの立場に立ってみるとか、人の立場に立てる能力、つまり、自分を離れた別の立場に置きながら、想像することができる人でないと設計はできない。だから、自己中心的な人ではだめなんです。指揮者はコンポーザーでしょう?建築もコンポーズ、構成するということだから似ているところはあると思います。大きなものを束ねていって、こっちの方向へもっていくんだ、と。しかし、束ねるときに相手に感情移入し、相手の人はどう考えているかというところに気がまわらないと、人はついてこない。 コンポーザーや、コーディネーターは、みんなの意見をその相手の立場にたってまとめていくことが必要なんです。 |
|
|
|
|
|
建築家を志したきっかけの一つは、うちの親父が自分の家をいじるのが好きで絶えず直していたことにあると思います。直すときに家族でいろいろ相談しながらやるんです。今度はこういうふうにしようとか、ここを増築しようとか、材料は何にしようとか、そういうことを子供のころから一緒に日常的に考えていました。父はそういうことが好きだったんでしょうね。子供ながらに、間取りを考えたり、壁や床、天井もやり変えたりして、場合によっては自分たちでペンキを塗ったりしていましたし、照明をどうするかということも考えていた。 そういう幼児体験があって、建築は楽しいものだというのが刷り込まれてしまったんです。大学時代もその横浜の家から通っていましたから、生まれてから二十四、五年はその家に住んでいました。 もう一つは、子供のころに東京オリンピックや大阪万博があって、建築が花形だったんです。東京オリンピックの競技場などを見て丹下健三さんが設計したという話なんかを聞いて、おもしろいなと興味をもったんでしょうね。
自分のライフスタイルの中で、ものを見続けるということはとても大切です。いろいろなものを見ると絶えず新しい発見があるわけですからね。いくつになってもそうだと思っています。新しいものを見続ける、新しい場所に行き続けることが大事。それが建築という仕事にとっても一番役にたつ。だから、旅行をするのが趣味みたいになっている。旅行というか、ほとんど仕事でいろいろな場所に行くんです。たとえばまちづくりの応援とかで行くことが、半ば趣味みたいになっています。いろいろな土地を見て、それがインスピレーションになってくる。 越後八尾のおわら風の盆に行ってきた時など、非常におもしろかった。細い路地を踊りながら、ねり歩く。「路地空間をああいう風に使うのか」というのが、すごく興味深かったですね。 海外でハノーバーとロンドンと、ピーターラビットのふるさとの湖水地方に行ったのですが、それぞれにおもしろかった。自然の使い方、自然に対する接し方の違いが印象的でした。 (構成/文 メディアム 成田恵子) |
|
|
|
|
|