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第四回 指揮者 大友直人 Lively Life バックナンバー一覧
プレイヤーが全身全霊で音楽作りに集中してくれる、指揮者になりたい
Lively Life
大友直人
part1
part2
part3

赤坂のお屋敷町の坂を登る途中に、大友さんのお住まいがある。もとは外国人用に建てられたマンションだということで、部屋のつくりの何もかもが広々と作られている。全面が窓になっているリビングから見下ろす風景に開放感があふれ、こだわりの御簾がかかる。
奥様が建築家だということで、インテリアは全て任せているとのこと。余分なもののない、ゆったりしつらえられた空間で、お茶を飲みながら、ご夫婦でおしゃべりをするのが至福の時だという。
お二人の本当にリラックスした仲のよさが、この住まい全体から伝わってくる。そんな素敵なお部屋にお二人は住んでいる。

 
 
指揮者の仕事は事前の勉強 その全てが時間との戦い
 

一回の演奏会で汗をかいたりして、体重も多少減ってるのかもしれませんね。やっぱり演奏会の時って自分のテンションが上がっていますから、終わった時っていうのは、あまりすぐには眠れないんです。大体我々の活動する時間帯は遅くってね。演奏会が終わると九時、十時でしょ、ホールから出るのが十時ぐらいで、食事は、それからすることが多い。そういうと深夜族になっちゃうんです。お客様からみればそうでもないかもしれないけど自分達のテンションって上がってますから、明け方ぐらいまで起きていて、夜がつい遅くなっちゃう。でも次の日またリハーサルがあって行かなきゃいけないから、私なんかは、まだ未だにその辺でうまく調節ができないんです。
有名な話では、カラヤン先生なんかは、まあ贅沢な話だけど自宅にプールがあって、演奏会が終わったら一切人に会わないで家に帰って軽い食事をして、それ後くたびれるまで泳ぐんですって。泳いでそれで、もうそのまま寝ちゃう。小澤征爾さんなんかは、ひたすら飲む。それで夜はあんまり勉強しないんです。だからお酒をたくさん飲んだら早く寝ちゃう。そのかわりにあの先生はすごい。未だに、どんなに遅く寝てもたぶん朝五時には起きて、仕事を朝にする。これは、とてもマネはできない。
(楽譜を見ながら)これが楽器でフルートからコントラバスまでね。パートパートの楽器が全部一緒に並んでいるんです。これを見たら全部イメージや音が頭の中に浮かんでくるように勉強します。ですからこういう基本的な楽譜のチェックに相当時間がとられるんですよ。指揮者の仕事は、非常に地味な作業ですね。何にもしないで一曲流しても、これで20分かかる。一晩の演奏会で2時間位かかるわけですから、曲を自分で細かくチェックしてリピートするってことが大変なのですよ。本当に僕たちの仕事は、時間との勝負なんですね。

 
 
指揮者も四十五十は鼻垂れ小僧 仕事の経験は豊富なほうがいい
 

指揮者は皆、楽器をやっています。私はピアノとコントラバスをやっていました。その中で、誰が指揮者になるのか?それは野球の監督を選ぶのと同じようなところがある。ようするに選手の誰が監督になれるのか、あれと同じで、誰にも分からない。適正や本人の意思ももちろんありますけども。本当に難しくてね。だから一人一人指揮者になっているひとの経歴というのは、違いますね。

 
 

指揮のやり方とかスタイルは、もう見事に人それぞれ全部違う。でもまあ避けて通れないのは、人とのコミュニケーションですね。だから、指揮者っていう仕事は、自分で言うのも変ですが、捕らえどころがなくて、説明しにくいんですよ。もちろん音楽家だから、「音楽」がやっている仕事なのですが……。まあ、簡単に言えば、オーケストラの第一印象は人の集団です。百人のプレイヤーが自分の目の前にいて、椅子に座っている。その人たちに朝、「おはようございます」っていうところからはじまって、リハーサルをしていく。その時間は、もちろん音楽を作るためにあるんですけれども、結局は自分の指揮とそれから言葉で曲を仕上げていくのですから。そりゃあ難しい。そこの部分は、教わったり教えたりっていうことでは、表現できない部分なんですね。指揮者は、そのやり方が千差万別。譜面の読み方とか音楽の作り方っていうのは、ある程度自分だけでもできるし、教わることもできますけれども、実際にその百人のプレイヤーの前に立ってどういうふうにリハーサルをしていくかっていうような練習は学校ではできないんですよ。だから実際に自分が現場に行って、そこで習得していくしかないんです。
建築の世界でも四十五十は鼻垂れ小僧って言いますよね…。指揮の仕事も同じでしょうね。そう思いますよ。やっぱりこの仕事は経験が豊富なら豊富なほどいい。でも自分の体験から言えば、若い時のほうが、結構仕事はやりやすい。プレイヤーはそういう若い指揮者はまあ言ってみれば皆でサポートする。やっぱり大変なのは、デビューした後、十年経ち二十年経ちしてくると、もうこれは新人じゃないから、やっぱり求められるものが、もっともっと大きく深くなっていきます。でも私の先生の一人もおっしゃっていたけれども、ある時から仕事がうんとやり易くなってくるんです。気がついたらね、全員自分より年下になっていた(笑)。彼らは、技術的に多少年齢的な限界がありますからね。だけど、指揮者の場合は体さえ健康であれば、九十歳でも大丈夫。現に朝比奈隆先生もまだまだお元気で指揮をなさっているでしょ。

 
 
集団力が生みだす能力の相乗効果 オーケストラが好きな理由はこれ!
 

指揮者の仕事の役割をある程度満たしていくことは誰にでもできるんですよ。その人の言う通りに演奏していればあるクオリティー以上のものが、絶対出てくるっていう一流の指揮者はいっぱいいます。でも、もうひとつ上のステージに行くとね、もっとすごい演奏ができる。

 
 

指揮者っていうのは、何にもできないといえば何にもできない。自分でリハーサルします、バランスもとります、曲作りもします、でも音を出すのは自分じゃない。だからプレイヤーがいろんな意味で、指揮者の能力を見出して演奏してくれる。僕がオーケストラを好きな理由は、ひとりの音楽家が十の能力を持っていたとすると集団で演奏することによって場合によっては、その能力が十二になったり二十になったりするところにあるんです。実際、ひとりだとこれしかできなかったのに、皆でやってみると、エネルギーが出ることがあって、それがオーケストラの一番面白いところなんです。指揮者がすべてをつくりあげるってことはなくて、結局はそこに居るプレイヤー全員で何が出来るかということになってくるんですね。そうすると自分の能力以上のものを出そうとしたりあるいは出てきたりするってことは、ある意味では指揮者の人格によるんです。人格のある人が、皆をその気にさせたとき、「今日の演奏会はこの指揮者の為に、自分の能力を全部使うぞ!」っていうところまで全員が思う。そうしたら、それ以上のものが出てくるんですよ。そういう指揮者は、百年に何人でるかっていう確率でしょうけどね。自分もオーケストラのプレイヤーの人達が本当に全身全霊でその音楽作りに集中してくれるような、指揮者になりたいですね。
音楽上のプロセスを超えたような部分での指揮者の存在っていうのは確かにあるんですよ。そういうクラスっていうのは確実にある。それは非常に限られた本当に少ない人にしか、なしえない次元なんですけれども、でもそういうところを目指したいっていう気持ちはありますね。これは、もちろん音楽上でクリアーしていなくちゃいけないことはすべてクリアーした上で、ある意味では本当に人格の問題。その人の為なら自分達はどこまででもついていくっていうような、そういうチームになれる場合もある。そういうところまで自分をもっていきたいなっていう夢はあります。これはもう人生修養ですね。

 
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アフターショット
アフターショット

カメラマンの桐島ローランド氏とゲストの大友直人氏

■桐島

いま写真はいろいろな意味で過渡期です。デジタルの世の中になってきて、もう瞬間というこだわりはなくなってしまうと思うんです。要するに撮りっぱなし。モータードライブどころか、いまの技術の進み方からすれば10年後には、映像を撮ってその中からひとコマ写真を起こすみたいな時代になってしまうと思う。そうなったときには、決定的瞬間という意識は完全になくなります。もちろんアートとしての写真、その一瞬にこだわったという意識での写真は残るかもしれない。でも、単純に商業ベースの写真ならば、一番いい表情が撮れるんだったらあえて瞬間ではなくて映像からのひとコマでいいじゃないかというのがコモンセンスですよね。そういう意識自体がやっぱり進化だと思うんです。だから、写真は進化したら消えていくものです。映像にはかなわないから。映像のクオリティのレベルが写真を上回った段階で、写真はもう存続しなくなってしまうでしょう。

■大友

いや、なくならないと思いますよ。

■桐島

残るかも知れない。たとえばオーケストラが残っているようにね。ただ、たとえばシンセサイザーで、オーケストラの音を出すそういう技術はある。しかし、本物を求める人はもちろんオーケストラを聴きに行きますが、大衆レベルやポップミュージックでオーケストラを雇って収録しようといっても、コストがかかるからというのでしなくなるのじゃないですか。単にエコノミクスの話になってしまうけれど、写真もそういう意味でエコノミカルなレベルでは高すぎるから、デジタルでやりましょうという時代は避けることは絶対にできないんです。消えはしないけど、存続の仕方が難しくなっていくんですよね。

■大友

それはあるかもしれない。逆に価値が高くなってくることはあると思う。

■桐島

アナログのものに対して……。

■大友

絶対にそうだと思う。CDとLPの関係と同じです。LPがなくなったでしょう?でも、本当のことをいうと、LPのほうがいい音がするんです。音が本当らしいわけです。不思議だけれど、これはけっこう大きな違いなんです。デジタルが発達すればするほどアナログの恋しさというか愛おしさ。これは価値が上がることこそあれ、下がることはないと思う。
それと、コンサートは会場でお客様と一体でつくりあげる何かがあります。音楽はだいたい空気の振動ですから、生の空気の振動を同じ空間で体験するというのは全然違いますからねえ。一期一会みたいなことがありますね。写真もプリントの大事さという一つひとつの価値はなくなることは絶対にないとは思います。

■桐島

僕は別にアートフォトグラフィを追求しているわけではない。ただ、自分が商業写真という形を存続しようとしている中で、カメラマンも技術の次元ではなくなってきたと感じるんです。それはそれですごくいいことだと思う。要するに、天才がいたら天才をもっと発掘できる環境にはなってきている。いまではカメラも安くなってだれでも買えるわけでしょう?昔は敷居が高かったカメラマンですが、そのエントリーレベルがすごく低くなったからだれでも入っていける。その中に天才がいたらバンバン出てこられる環境にはなった。でもコンペティションが多いからすごく曖昧になってきています。流れができないまま、世界中にいろいろなメディアがあって、一人の人がちゃんとした形で自立するまで有名になれたり、名声を受けたりすることは、今後は特に難しくなっていくと思います。それはすべてのことに言えるかもしれません。

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