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■桐島
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日本はどこか幼稚なところがあって、本質というものに対してこだわりがある人はとてもマニアックなレベルで、大衆レベルにはそれはとても少ない。逆に、もっと気楽で楽しくというところにいってしまうケースが多いんじゃないかと思っている。世界でも日本ほどお気楽文化はないと思います。日本も、せっかく景気のいいときがあったのだからもっと文化に投資しておけばよかったですね。
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■大友
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本当にそうです。
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■桐島
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結局、何もないですよね。バブルのときのものでちゃんと形になったものはすごく少ないですね。
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■大友
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少ないです。われわれ日本人が誇りをもってこれが日本の文化ですと紹介するのは伝統的な建築物から茶道、華道、歌舞伎や文楽に到るまで殆ど江戸時代以前のものなんです。ことに、元禄太平の時代には様々な文化が花開き、成熟していきました。 昭和と言う時代は、戦争と敗戦からのすさまじいエネルギーをもった復興の時代でした。しかし、平成に入ってすでに十何年、これからの日本はIT整備もいいですが、本当の意味での文化というか、何かこれこそ日本が手塩にかけてつくりましたというような手づくりのものを残す意味はとても大きいと思います。
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■桐島
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インタラクションでもないけれど、そういうものに対する欲はとても大きくなってきていると思う。ある意味でやっと戦後からバブルまでいって、落ちかけているけれどそこで初めて自分のアイデンティティを考えるという感じじゃないかな。今、32歳なのですが、いまのアンダートゥエンティたちは、また逆戻りしているのかなという恐さもあるんです。モーニング娘みたいなのが子供の間であんなにはやってしまう。僕たちだって十五、六のときは洋楽を聴くのが、変な意味での海外への憧れというのもあったけれど、やはり自分しか聴かない音楽とかというこだわりがまだあったんです。ある意味では、なんかつまんない世の中になってきちゃっているんじゃないかなと思う。はっきりしすぎていて、戦略は売れるものにどうしてもいっちゃう。日本はなぜそうやって結果ばかりを見て、新たなことにチャレンジしなくなったのかなと思う。あるところから本当に新しいものを試すとかという意識がなくなった面がある。
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■大友
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時代はいつも繰り返しながら行くという部分もあるから。おっしゃるようにたしかにポップミュージックではそういうことはあるかもしれない。僕はわりあい古い70年代くらいまでのポップスが好きなんです。 懐かしさだけでなく歌もいいと思う。ときどき聴いてもね。詩の内容もいい。ローランドさんがおっしゃるように、いまでもきちんとやっている人は、いっぱいいると思います。時代を動かすようなヒットするいい歌はたしかに少なくなっているかもしれませんが、何にしてもあまりにも情報源が多すぎるのではないでしょうか。どこから選択していいのかわからないほどたくさんあるから、それがいいのか悪いのか……。
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■桐島
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ただ、メディアにしてもこんなに情報があっても偏っちゃうじゃないですか。要するに、取り上げるところは意外と全部同じになったりするんです。メディア自体もいままでは「自分はこの人だ」という主張みたいなこだわりがあったのが、いまはみんながあそこに行っているからあそこに行こうという方向性になっているような気がします。
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