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第四回 指揮者 大友直人 Lively Life バックナンバー一覧
アーティストとして感じたこと 誠実さ・ある勇気・青春の夢
Lively Life
大友直人
part1
part2
part3

赤坂のお屋敷町の坂を登る途中に、大友さんのお住まいがある。もとは外国人用に建てられたマンションだということで、部屋のつくりの何もかもが広々と作られている。全面が窓になっているリビングから見下ろす風景に開放感があふれ、こだわりの御簾がかかる。
奥様が建築家だということで、インテリアは全て任せているとのこと。余分なもののない、ゆったりしつらえられた空間で、お茶を飲みながら、ご夫婦でおしゃべりをするのが至福の時だという。
お二人の本当にリラックスした仲のよさが、この住まい全体から伝わってくる。そんな素敵なお部屋にお二人は住んでいる。

 
 
結局人間は、誠実に作られたエネルギー量に感動すると思う
 

ステージに上がるときのポリシーとして、仕事に誠意を尽くすことは、いつも心がけているつもりです。ただ、そう思うと結局は自己嫌悪に陥ることにもなるのですが……。お客様に聴いていただくということは大変なことで、若いころはそこまで深くは考えていなかったんです。恥ずかしいけれど最近になって、前よりは自分の仕事に対する誠実さということをだいぶまじめに考えるようになってきました。一つの演奏会に対して自分がどれだけエネルギーを注ぎ込んだかというようなことが、自分の仕事に対する誠実さなのだろうと思いますが、これが難しくて。本当はきりがないんです。でも、われわれのような仕事を選んだからには、いつもそれを100パーセント出さないといけないわけです。例えば、オリンピックがあります。出場選手のことを僕は本当に尊敬するし、すごいと思うんです。大きく捉えれば、われわれもそうなのだけれど、その瞬間、瞬間の勝負でしょう?マラソンにしても2時間何分かの世界。100m競争ならば10秒かからないで終わってしまう世界です。その瞬間だけのために、それまでにあの人たちがため込んできたエネルギーの量はすごいわけです。

結局、人間が何に感動するかというと、何にしてもそういうエネルギー量に感動するような気がするんです。具体的にはいろいろ形が違うんですけれどね。音楽、楽曲も素晴らしいのですが、実はその裏に隠されている人が作り出したエネルギーにみんなが感動しているというようなことはきっとあると思うのですよ。

写真は瞬間でシャッターが切れるし、上がってくればただの1枚の紙かもしれない。絵でもそうです。具体的な絵というよりも絵の裏側に実は存在しているエネルギーというのが絶対にあって、それに感動する。画家がその絵を描くために何十時間、何百時間、あるいは何年も、その人のキャリアと制作にかかったものを注ぎ込んできた、そんな絵が持っているエネルギーはすごい力をもっています。そういう意味で、自分はこの演奏会にどれくらいエネルギーを使ったのか、と考えます。たった2時間のリハーサルで、ステージに演奏をかけることもできる。2時間といってもその裏に僕らも小さいころからずっと積み上げてきたキャリアはあるのですが、それにしてもそれでいいのだろうか……。いつもモノづくりということに対する純粋な気持を持っていたいと、自分に対して戒めているんです。

 
 
現代音楽と決別した三枝さん それは勇気のいることです
 

三枝成彰さんとはよくいろいろと一緒に仕事をさせていただいています。相性もあるでしょうね。私は三枝さんの音楽が本当に好きですから。私が三枝さんと知り合ったころは、まだ三枝さんの中では、自分の音楽の方向性をまだ少し迷っていらっしゃったというか、いまのように自信を持って仕事をしてはいなかったんです。三枝さんも自分が本当にやりたいスタイルを見つけ出してまだ15年くらいなのではないでしょうか。彼の場合は現代音楽のアカデミックなほうの作曲家としての顔がすごく大きかった。日本の作曲家のほとんどは商業音楽と芸術音楽とを両方並行してやっているんです。そうでないとみんなやっていけないから……。ですから、現代音楽、いわゆるアカデミックな難しい音楽を書く一方で、それでは飯が食えないのでCMやドラマの音楽を書いたりして、いろんな音楽を両刀づかいでやっているわけです。三枝さんもそれをなさっていて、商業音楽をたくさん書いている一方で非常に難しい音楽もたくさん書かれていました。私はその両方にお付き合いして、演奏をしたことがあります。三枝さんの書いている商業音楽はすごくセンスがよくて、この人はただ者ではないと思いましたよ。私もいろいろな人の作品を演奏しますが、その中でもすごくいい、とても特別なセンスがあると思っていたんです。それで何年かして、三枝さんはある日、現代音楽は、自分が本当に書きたい音楽ではないと考えたのだそうです。そして、ある時期から本当に書きたいものだけ書こうと自分で決断をした。それが40歳を過ぎたぐらいではないでしょうか。それで方向転換というか、自ら現代音楽に決別をして、自分が書きたいものだけを書くようにしたんです。それはすごく勇気がいることですよね。いまやっている仕事がそこそこ評価もされ、安定していればしているほど、殻を打ち破るのは難しい。それ以来、彼は音楽の世界ではものすごく敵が多い。よくあの「オペラ忠臣蔵」を完成させたと思います。私も指揮をしましたが、前代未聞の作品です。あの三枝さんでさえ、自分がつくりたいものをつくることが本当は難しいわけです。つまり、あんなグランドオペラを書きたいと思ったら、ものすごくお金がいるでしょう?普通で言えば作曲家が一人で書きたいものを書きたいと言っても誰も取り上げてくれない。でも三枝さんは自分が本当にやりたいものをやるには、自分ひとりでやるしかないと決めた。だから、一から全部自分だけでつくりあげた。スポンサーも全部自分で見つけて、演奏家から歌手から何から何まで全部一人で交渉して、つくりあげたでしょう? そんなパワーやエネルギーを持っている作曲家は、日本にほかに一人もいない。僕はすごく立派だと思いますよ。

 
 
2002年サントリーホールで青春のドイツ公演の再演が決定
 

音楽家の世界って本当に狭いんですよ。日本だけでも狭いし、世界でも狭い。皆、小さい頃から音楽をやっているでしょ?そうするとね、幼稚園、小学校、高校時代をお互いに知っているという人間関係が多いんですよ。学校が違っても、音楽の先生や音楽教室が一緒だったりする。僕は、時々思うんだけれど、これも人生のめぐり合わせ。僕は今指揮をしているでしょ。僕が高校大学のときも学校とか付属音楽教室のオーケストラの指揮をしたことがあるわけ。そうすると当時小学生だったり中学生だったりしたバイオリンの子とかフルートの子とかが、20年経って社会に出てね、また大友が指揮して自分がバイオリン弾いていたりする。この状況はずっと変わらないで、子供から大人になっただけなわけ。小学校の半ズボン時代から同じ状況でそのまま社会人になって、そのまま50歳、60歳になって……。これは、気持ちが悪いといえば、気持ちが悪い(笑)。
たまたま夕べ、こんなことがありました。プライベートで珍しい話なのだけど。大学を卒業した頃頼まれて、早稲田大学のサークルでアマチュアのオーケストラの指揮を2年間ぐらいしたことがあるんです。アマチュアとしては、かなりレベルの高いオーケストラで、部員が当時で250人ぐらいいて、有名だったんですよ。浪人している学生なんかがいっぱいいますから私より年上の学生もいたりして、ほとんど同世代でドイツに演奏旅行に行ったりしました。そして、去年皆卒業して18年くらいたった。そしたら、何人か僕の演奏会に来て、なつかしいですねって話から「ドイツの演奏旅行から再来年でまる20周年だ」という話になった。そしたら、「じゃあ卒業20周年で皆40歳を超えるから、もう一回あの時のメンバーでやってみようか」って急に話が盛り上がったわけ。それで昨日集まって、2002年にサントリーホール借りてね、ドイツ旅行した時と同じメンバーで、同じ曲目で再演しようってことになった。ずっと音楽を続けている人もいれば、あれ以来楽器は触ってもいないっていう人もいるけど、電話を少しずつしていったら皆興奮のルツボだって。(笑)やっぱり学生時代のそういう経験っていうのは、すごく大事だね。僕なんか音楽は、仕事だから毎日やっていますけども、彼らにとっては、青春の一番情熱を燃やした時期の思い出。だから、楽しみなんですけれどね。現実には、演奏するっていうのは技術的に大変なことがいっぱいあるから…。もしかしたら打ち合わせの時間が一番幸せだったなんてことになるかもしれない。(笑)
(構成/文 メディアム 成田恵子)

 
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アフターショット
アフターショット

カメラマンの桐島ローランド氏とゲストの大友直人氏

■桐島

日本はどこか幼稚なところがあって、本質というものに対してこだわりがある人はとてもマニアックなレベルで、大衆レベルにはそれはとても少ない。逆に、もっと気楽で楽しくというところにいってしまうケースが多いんじゃないかと思っている。世界でも日本ほどお気楽文化はないと思います。日本も、せっかく景気のいいときがあったのだからもっと文化に投資しておけばよかったですね。

■大友

本当にそうです。

■桐島

結局、何もないですよね。バブルのときのものでちゃんと形になったものはすごく少ないですね。

■大友

少ないです。われわれ日本人が誇りをもってこれが日本の文化ですと紹介するのは伝統的な建築物から茶道、華道、歌舞伎や文楽に到るまで殆ど江戸時代以前のものなんです。ことに、元禄太平の時代には様々な文化が花開き、成熟していきました。
昭和と言う時代は、戦争と敗戦からのすさまじいエネルギーをもった復興の時代でした。しかし、平成に入ってすでに十何年、これからの日本はIT整備もいいですが、本当の意味での文化というか、何かこれこそ日本が手塩にかけてつくりましたというような手づくりのものを残す意味はとても大きいと思います。

■桐島

インタラクションでもないけれど、そういうものに対する欲はとても大きくなってきていると思う。ある意味でやっと戦後からバブルまでいって、落ちかけているけれどそこで初めて自分のアイデンティティを考えるという感じじゃないかな。今、32歳なのですが、いまのアンダートゥエンティたちは、また逆戻りしているのかなという恐さもあるんです。モーニング娘みたいなのが子供の間であんなにはやってしまう。僕たちだって十五、六のときは洋楽を聴くのが、変な意味での海外への憧れというのもあったけれど、やはり自分しか聴かない音楽とかというこだわりがまだあったんです。ある意味では、なんかつまんない世の中になってきちゃっているんじゃないかなと思う。はっきりしすぎていて、戦略は売れるものにどうしてもいっちゃう。日本はなぜそうやって結果ばかりを見て、新たなことにチャレンジしなくなったのかなと思う。あるところから本当に新しいものを試すとかという意識がなくなった面がある。

■大友

時代はいつも繰り返しながら行くという部分もあるから。おっしゃるようにたしかにポップミュージックではそういうことはあるかもしれない。僕はわりあい古い70年代くらいまでのポップスが好きなんです。
懐かしさだけでなく歌もいいと思う。ときどき聴いてもね。詩の内容もいい。ローランドさんがおっしゃるように、いまでもきちんとやっている人は、いっぱいいると思います。時代を動かすようなヒットするいい歌はたしかに少なくなっているかもしれませんが、何にしてもあまりにも情報源が多すぎるのではないでしょうか。どこから選択していいのかわからないほどたくさんあるから、それがいいのか悪いのか……。

■桐島

ただ、メディアにしてもこんなに情報があっても偏っちゃうじゃないですか。要するに、取り上げるところは意外と全部同じになったりするんです。メディア自体もいままでは「自分はこの人だ」という主張みたいなこだわりがあったのが、いまはみんながあそこに行っているからあそこに行こうという方向性になっているような気がします。

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